2019年4月30日火曜日

ゆとり


受注してから1時間で品物を届けるサービスをAmazonが始めてから数年経ちます。このサービスより後に、通販サイト「ロコンド」は「急ぎません便」というオプションを始めた。別にそこまで早く商品を欲しいとは思いませんよという顧客が、これを選択することで、配送の最前線で奔走する人々の負荷を軽減できる。顧客があえて急がないことを選択できるのは興味深い。

赤ギリギリを車で突っ切る人。覚束ない足取りの妊婦などお構い無しで自転車を飛ばして横切る人。何かに追われるように駆け込み乗車する人。特に急ぎの用もない時でさえ、ふとした瞬間に体が反応して急いでしまうことが私たちにはあります。そもそもなぜ私たちは急ぐのでしょうか。

いわゆるスローライフ的な考え方を、非現実的だとする指摘する人がいます。まあそれは一理ありますね。しかし、別に今の経済システムを否定しなくとも、待つ力を失わないよう自主的に心掛けることには意味があると思います。スピード至上主義で回っている社会(主に経済)という円盤の上で生活しつつも、特段急がなくてよい場面では急がない。そうやって社会の円盤のリズムと自分の心のギアのそれとを時々ずらせるような心的余裕、これが「ゆとり」の真の意味ではないでしょうか。

だから、そういう意味でのゆとりが全く無くなると、各々の心のギアはデカい円盤を円滑に回すための歯車でしかなくなってしまいます。もちろん、社会生活を営む上では歯車にならざるを得ない場面もしばしばあります。しかし、だからこそ定期的に自分の心のギアが自律的に動けるのかを省察していきましょう。それは具体的には、上記のような外出先でつい急いでしまいがちな場面で、考えて自分の身体の動きを調節するようなことを通してもできるんじゃないかと思ってます。まずは、私生活において「何で急いでるのか分からないけど何か急いでる」という「急がされ感覚」を冷静に客観視すべきでしょう。

「待つ」というのは受動的なニュアンスですが、欲しいものがこれほど早く手に入れられる現代においては、能動的に「待てる」、つまり待つという行為の力としての側面が強調されてくると思います。

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