2019年5月20日月曜日

アスペルガーと私


精神医学界における診断の基準となっている、『DSM-5』によると、「アスペルガー症候群」は独立した疾病単位ではなく、「自閉スペクトラム症」という発達特性のなかに包含されています。(それより前の版であるDSM--TR以前では分けられていました)この自閉スペクトラム症の3特徴として、児童精神科医ローナ・ウィングらが1979年に示した「コミュニケーションの障害」「社会性の障害」「想像力の障害と固執傾向」は今でも広く流布されています。これらの特徴を持つ人たちのうち、知的な遅れが見られないグループが長きにわたって「アスペルガー症候群」と言われてきました。DSM-5以降もこの名称は強い市民権を保持して今日に至っています。

私がその診断を受けたのは小学校6年の1学期のことでした。当時の私にとっては初めて聞く名前だった「アスペルガー症候群」。それ以降、私はネットや文献などでこの耳慣れぬ障害について調べてきました。調べたうえで私がどうしたかというと、自分の中からアスペルガーの特徴を極力排除するようにしてきました。当時の私にとって、「普通であること」は正義でした。例えば、先に挙げたウィングの特徴のうち「社会性の障害」は、いわゆる「空気が読めない人」としてしばしば現れます。ですから私は自分なりに、周囲の空気を敏感に察知することを相当意識して生きてきました。また、「コミュニケーションの障害」があると思われないようにするためには、とにかく聞き上手になればいいと思い至り、自己訓練に励んできました。

そのように、いわば「アスペっぽさ」を自分から次々と捨象するようにして生きて、いわゆる「普通」をとにかく目指してきたのでした。その甲斐あってか、発達障害をカミングアウトすると、全く驚かれるほどに私は「普通」に溶け込んでいくことができました。しかし、根本的には変えられない特徴が潜伏している状態で、「普通」と思われることは却って辛いと思う場面が多々出てきました。つまり、時々その潜伏した症状が現れる時、「普通だけどちょっと変わっている」と周囲に思われることは、初めから発達障害と思われるよりも精神的にきついという実感があるのです。

そこで、最近私はある雑誌にて、とあるADHD(注意欠陥・多動性障害)の婦人の言葉を目にして少しだけ救われました。「『普通』を演じてきたくせに、『普通に見える』ことによって、自分の首を絞めていた。ほんとは、とてつもない苦しみや葛藤がある。人一倍、努力して、みんなと同じラインに立っている。だから、『見える私』じゃなくて、『見えない私』がいることを誰かに知ってほしかった」(『大百蓮華』20195月号、p.88

まさに私が抱いてきた感覚にぴったりと合っていました。これまで、私の苦しみは私にしか分からないと孤独を決め込んでいました。しかし、同じような苦しみを抱く人が同じ空の下にいることは、私にとって大きな希望となりました。私も、誰かにとってそんな存在になるため、精いっぱい日々を生きたいと思います。

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