2019年5月19日日曜日

リトルターン


私の好きな絵本の話をしたいと思います。ブルック=ニューマンの『リトル ターン』(五木寛之・訳)という作品です。主人公は一羽のリトルターン(コアジサシという鳥)。彼はある日突然空を飛べなくなってしまいます。その原因がケガなどの外部的要因ではなく、自分の中にあるということを察した彼の、再生への旅を描いています。

私がこの物語に魅力を感じたのは、リトルターンの挫折と再生への歩みが、うつ病患者の発症~寛解に至るプロセスによく似ている点です。まず彼は突然飛べなくなるのです。うつ病も、ある日突然糸が切れたように、起きようとも体が動かなかったり、あらゆる欲求が停止してしまいます。

そして、彼は飛べなくなった直後、その真実を仲間には伝えず、歩いて海岸を冒険しているなどと説明してお茶を濁します。うつ病患者も、自分のことを素直にカミングアウトするには多少なりとも抵抗があります。目立った外傷の場合は、その傷を見せれば説明になるのですが、うつ病のような精神疾患の場合、言葉で説明するしかありません。そして説明するにも余計精神的エネルギーを使ってしまいますから、このことがうつ病患者の自己説明に際する足かせとなってしまっています。

そして、リトルターンの再生プロセスで注目すべき点は、ただ単に「自分探しの旅」「自己への問いかけ」のみを通して再生するのではなく、外界との様々な縁によってじっくりと本来の自己を取り戻していくことにあります。私自身の実感として、うつ病の経過は良い縁にどれだけ恵まれるかにかかっていると言っても過言ではありません。

特にこの物語に欠かせないのはゴースト・クラブ(ゆうれいガニ)との出会いです。ゴースト・クラブの発言や彼との出会いによって得た気づきは、示唆に富む言葉で描写されています。「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」(You have not lost ability to fly: you have only misplaced it.)、「ただ待って時間を無駄にすることと、待ちながらじっくり学ぶことの違いを発見せよ」(Discover the difference between wasting time and learning from time)など。特に、私の座右の銘ともなっているのは、以下のゴースト・クラブの言葉です。「普通とか普通でないとかいう見方にとらわれている限り、普通でないものは普通じゃないんだ」(The unusual is only unusual if you see it that way.)

忙しない日常において、小さな発見をもたらしてくれる素晴らしい絵本です。

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