2019年5月22日水曜日

メンヘラ・ヘッセ


私の好きな作家にヘルマン・ヘッセという人がいます。何と言ってもこの人のメンヘラ具合が私自身とオーバーラップするところがあり、大好きなのです。

彼は、祖父と父の影響で牧師になることが決定づけられていたような少年時代を送りました。そうすることが自明であるかのように神学校に入ったのですが、入学する少し前から彼は「詩人になるのでなければ、何にもなりたくない」という強い気持ちを抱いていました。そして、学校の詰め込み教育と規則ずくめの寮生活が、彼の抱いてきた気持ちを抑圧します。その抑圧は、彼が14歳のときに神学校からの脱走という形で爆発します。すぐに捉えられましたが、やがて心身のバランスを失った彼は結局退学します。

ほどなくして彼はなんとか高校に転入学します。しかし、1年経たないうちに退学します。この間も彼は、自殺のために教科書を売ってピストルを買うというメンヘラっぷりを発揮しています。今度は本屋の見習い店員になるのですが、3日で行方不明になります。重症ですね。何をやってもいかんということで家族も自分も絶望的になります。その後、紆余曲折を経て17歳で町工場の見習い工になります。ここでの労働の傍ら、ヘルマンは独学で詩人としての教養と才覚を磨いていきます。

町工場で1年ほど働いた後、大学町のチュービンゲンにある書店の店員となります。まともに神学校を卒業していたらそこの大学で勉強していた訳ですが、脱線者として学生に本を売る身分になったのです。この劣等感に耐えながら労働しつつ、詩人として本格的なスタートを切ります。彼の作品は、徐々に、ゆっくりと名声を得ていき、27歳のときに『郷愁』という小説で一躍文名を高めます。

しかし、第一次世界大戦やヒトラーの暴政は、作家としてのヘッセに大きな苦難をもたらします。彼は反戦の立場を貫き、裏切り者、売国奴として弾劾されてしまいます。それにも屈せず作品を発表し続け、第二次大戦後の1946年、ノーベル文学賞を受賞します。(以上は全て、ヘッセ著『車輪の下』の巻末にある高橋健二氏の解説を参考に書きました。)

ここまで、ヘッセの半生をつらつらと書いてきましたが、戦争に対する姿勢を見るとただのメンヘラではないことが分かります。繊細な中にも、己が信念のためには動じない確固たる姿勢がうかがえます。マハトマ・ガンジーを彷彿とさせますね。

ヘッセの若いころのように、私も小学校時代から脱走癖があります。また、無駄に感受性が高いところがあります。それはそうとして、大戦時代におけるヘッセのように、いざという時に逃げずに立ち向かう強さがあるかと言われると、怪しいですね。今からできることとして、このブログを通して、言論戦の腕を日々磨いていきたいと思います。

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