2019年4月30日火曜日

国際化今昔


先月、2024年から新紙幣が発行されることが発表されました。今日は、あえて現行一万円札の福沢諭吉にちょっと関わる話。

明治時代の日本の大学では、お雇い外国人教員があらゆる学問を英語で教えていた時期がありました。それは、当時そういった諸学問の専門用語を日本語の語彙では表せなかったからです。その状況を打破すべく、福澤諭吉や中江兆民などの第一級の学者たちが、とてつもない努力で欧米の専門書を次々と翻訳。その所産として、有難いことに私たちは母国語で様々な学問をすることができているらしいです。(cf.内田樹『街場の共同体論』)

それを、最近の日本では、公私立問わず「グローバル」を合言葉にして、英語で専門分野を学べる大学・学部を増やしているわけですから、時勢というのは不可思議なものだなあと思います。時代が違いすぎますから、単純な比較はできないでしょうけど。

ゆとり


受注してから1時間で品物を届けるサービスをAmazonが始めてから数年経ちます。このサービスより後に、通販サイト「ロコンド」は「急ぎません便」というオプションを始めた。別にそこまで早く商品を欲しいとは思いませんよという顧客が、これを選択することで、配送の最前線で奔走する人々の負荷を軽減できる。顧客があえて急がないことを選択できるのは興味深い。

赤ギリギリを車で突っ切る人。覚束ない足取りの妊婦などお構い無しで自転車を飛ばして横切る人。何かに追われるように駆け込み乗車する人。特に急ぎの用もない時でさえ、ふとした瞬間に体が反応して急いでしまうことが私たちにはあります。そもそもなぜ私たちは急ぐのでしょうか。

いわゆるスローライフ的な考え方を、非現実的だとする指摘する人がいます。まあそれは一理ありますね。しかし、別に今の経済システムを否定しなくとも、待つ力を失わないよう自主的に心掛けることには意味があると思います。スピード至上主義で回っている社会(主に経済)という円盤の上で生活しつつも、特段急がなくてよい場面では急がない。そうやって社会の円盤のリズムと自分の心のギアのそれとを時々ずらせるような心的余裕、これが「ゆとり」の真の意味ではないでしょうか。

だから、そういう意味でのゆとりが全く無くなると、各々の心のギアはデカい円盤を円滑に回すための歯車でしかなくなってしまいます。もちろん、社会生活を営む上では歯車にならざるを得ない場面もしばしばあります。しかし、だからこそ定期的に自分の心のギアが自律的に動けるのかを省察していきましょう。それは具体的には、上記のような外出先でつい急いでしまいがちな場面で、考えて自分の身体の動きを調節するようなことを通してもできるんじゃないかと思ってます。まずは、私生活において「何で急いでるのか分からないけど何か急いでる」という「急がされ感覚」を冷静に客観視すべきでしょう。

「待つ」というのは受動的なニュアンスですが、欲しいものがこれほど早く手に入れられる現代においては、能動的に「待てる」、つまり待つという行為の力としての側面が強調されてくると思います。

2019年4月29日月曜日

贅沢としての孤独


躁うつ病の再発に伴うこの休職期間の中で、有難いことに私は様々なことを学べています。



特に、「寂しい」という感情を自覚できたことが、私という人間をより深くしたと思います。元来発達に偏りのあるせいか、感情のバリエーションを理解することが私は苦手です。その中でも、これまでの半生で「寂しい」について理解することが出来ませんでした。しかし、部屋に独り引きこもりながら、寂しいっていうのはこういう感じを言うのかと学びました。

ふと、これまでの人生を振り返ってみた時に、自分が寂しさを理解しなかったのは、寂しいなどと思う必要もないほど、常に家族や友人の優しさに支えられ、安心しきっていたからだと気づきました。自分の矮小さを知った瞬間でもありました。人の温もりに包まれながら、孤独を纏うなんてのは、強さでも悟りでもない。しょうもない心の贅沢に過ぎないのかもしれない。

「みんなが私を好いてくれるのに比べて、自分がそれほどに思えないのも、悪いとは思えなかった。赤ん坊だって、そうではないか。もし、しゃべれたらそういうだろう。それを孤独だなんて思うとしたら、そんなの後から思いついたことで、魂から湧いてくる感情じゃないと思う。」(吉本ばなな『アムリタ (下)』より)

寂しさを自覚した分、これからはもっとしなやかに、自分や他人を受け容れられるようになっていくと思っています。

2019年4月28日日曜日

加害者性


広島の原爆資料館がリニューアルしました。展示の仕方が大きく刷新されました。原爆のもたらした惨状の描写には、言葉ではなく実物(被爆者が実際に来ていた着衣など)を用いることで、来館者の心に訴えかけます。

2017年の正月、私は広島にいました。原爆ドームを見た後、大久野島へ行きました。この2つの遺構は、強いて言うならば前者が日本の「被害の象徴」、後者が「加害の象徴」です。

大久野島は、戦時中、条約で禁止されていた毒ガス兵器を日本軍が秘密裏に作っていた島です。戦争の歴史を忘れないための重要な場所ですが、原爆ドームに比べてこの「加害の象徴」は、メディアへの露出頻度が低い。知らない方もいるかもしれません。

私が人間の「加害者性」に関心を持ち始めたのは、大学でいじめについて勉強したときからです。伊藤茂樹という社会学者曰く、一般的に、第三者はいじめ被害者に同情することは容易いが、自分がいつでも加害者になりうるという自覚は疎いとのこと。私自身、学校でからかわれたことは被害の記憶として鮮明ですが、集団で誰かをからかったことは、「ノリ」だったとして正当化してきたと気づき愕然としました。

人間一般が持つ加害者としての自覚への疎さ・忘れたがる傾向というのは、ときに日本の歴史にも反映されます。以下、森達也さんの指摘。日本では、北朝鮮による拉致問題については長期に亘って強い関心が向けられている一方、日本が置き去りにした中国残留孤児について思い出す人はもう殆どいないとして、「つまり他国からの被害に対してはこれほど居丈高になるのに、この国の加害に対しては、ほとんど興味すらない。(中略)この国の現状は、その程度があまりに過ぎる。内省がほとんとない。」と述べています。(『死刑のある国ニッポン』pp.95-96

何はともあれ、今年2月の天皇陛下のお言葉を拝し、令和の時代も戦争のない世界にしていきたいと切に祈りました。そのためには、表層的な意識啓発だけでは足りないことは今更言うまでもないです。生命が本源的に持つ加害者性を、各人が日常的に自己支配できるようにならなくてはなりません。

2019年4月27日土曜日

桜流し


開いたばかりの花が散るのを/「今年も早いね」と残念そうに



春の終わりになると、宇多田ヒカルさんの「桜流し」を聞きたくなります。少ない歌詞ながら、洗練された言葉に心打たれます。「桜」という言葉を一度も使わずに、桜がはらはらと散っていく様を鮮やかに描く繊細な言語感覚に、いつも脱帽します。



この歌は精神を患った母親を思って書いたものであるとか、東日本大震災の被災者を思って書いたものである等の考察がネット上でなされています。この歌の本当のバックグラウンドは、本人のみぞ知るところです。しかし、真実はどうあれ、歌詞の内容からは何かしらの喪失に伴う悲しみと、それでもなお一人で生きていこうとする決意を感じますね。

 

さて、私はつい最近ブログを始めたのですが、そのきっかけは、自分がうつ病になったことを通して思ったことを共有したいとの思いからでした。現代は、ブログやYouTubeInstagramなどのメディアを使い、素人でも自分の表現を公開できるのが容易になっています。宇多田ヒカルさんのような才能はないとしても、どんな苦しみも悲しみも表現に乗せることで昇華することができます。さらに、それが誰かの希望になれば、素敵なことです。そんな妄想を抱いて今日も私は言葉を紡いでいます。

うつは「体の」病


私は現在うつ病と闘いながら、生活をしています。というわけで、今回は自身の経験を基に、うつ病に対して有効な生活習慣を3つ挙げていきます。



①朝の散歩

これは、精神科医の樺沢紫苑さんがYouTubeで解説されていたのを見て参考にしました。人間は、朝日を浴びるとセロトニンという脳内伝達物質が分泌されます。これが、抑うつ状態から脱することにつながるそうです。外に出て運動できない状態のときは、屋内で日向ぼっこをするのも効果ありとのこと。私の場合は、窓際に布団を敷いて、寝る前にカーテンを開けることから始めました。日差しを浴びながら目覚めるのは、気持ちよいですよ!



②筋トレ

これも諸説ありますが、私の実感としては、筋トレそのものが科学的に抗うつ効果があるとは思いません。ただ、筋トレをやろうと思えるか否かの判断を通し、自分の精神状態を省みるのに役立つと思います。例えば、昨日は腕立て伏せを10回やったけど、今日は同じメニューをやる気が起きない場合、それは昨日よりも意欲が低下しているというバロメーターとなりうるでしょう。要するに、意味を持つのはトレーニングそのものより、自分の体調を計る行為としての筋トレと考えてください。



③何もしない自分を肯定する

うつ病というのはとにかく何もする気が起きません。まずはそういう過ごし方もアリだと肯定することが大切です。無為に過ごすことに対して焦るのは一旦やめましょう。ストレス解消やリハビリのために、無理に色々するのは逆効果です。却って疲れてしまうからです。掛かりつけの医師から言われましたが、リハビリに際しては、自分が「できることを」「疲れない程度に」行うことが効果的とのことです。自分の身体の声を聴きながら、ゆっくりと何かを始めるのがポイントですね。



【予防・再発防止のために】

自衛隊のメンタルヘルスに携わっている下園壮太さんという方の記事を以前読んだことがあります。そこには、「人はストレスではなく疲労で折れる」という旨のことが書いてありました。

一般的に「心の病」と言われると、「心の持ちようでどうにでもなる」と誤解されがちです。ですが、病は病です。新社会人等、この春張り切って新しい環境に飛び込んだ人は、身体への労りをお忘れなく。賢明に休むことも社会的スキルの一つです!

また、現在うつ病の治療をしている人は、自己判断で通院・服薬を中断することは厳禁です!症状が和らぐと治療意欲が失せてしまうものですが、うつ病というのは寛解期に入った後もしばらく服薬を続ける必要があります。さもないとぶり返し、発症当初より悪化します。医師の指示にしっかりと従いましょう。



「心の強い人は、たいてい心さえしっかりしていれば体はなんとかなる、って体のことをばかにしているんだ。でも人って、ある線を過ぎると、こんどは体が弱っていることが心を引っ張っていってしまうんだ」(よしもとばなな『ハゴロモ』より)

2019年4月26日金曜日

はじめまして

シッポです。ゆるくやっていきたいと思います。宜しくお願い致します。