2019年4月29日月曜日

贅沢としての孤独


躁うつ病の再発に伴うこの休職期間の中で、有難いことに私は様々なことを学べています。



特に、「寂しい」という感情を自覚できたことが、私という人間をより深くしたと思います。元来発達に偏りのあるせいか、感情のバリエーションを理解することが私は苦手です。その中でも、これまでの半生で「寂しい」について理解することが出来ませんでした。しかし、部屋に独り引きこもりながら、寂しいっていうのはこういう感じを言うのかと学びました。

ふと、これまでの人生を振り返ってみた時に、自分が寂しさを理解しなかったのは、寂しいなどと思う必要もないほど、常に家族や友人の優しさに支えられ、安心しきっていたからだと気づきました。自分の矮小さを知った瞬間でもありました。人の温もりに包まれながら、孤独を纏うなんてのは、強さでも悟りでもない。しょうもない心の贅沢に過ぎないのかもしれない。

「みんなが私を好いてくれるのに比べて、自分がそれほどに思えないのも、悪いとは思えなかった。赤ん坊だって、そうではないか。もし、しゃべれたらそういうだろう。それを孤独だなんて思うとしたら、そんなの後から思いついたことで、魂から湧いてくる感情じゃないと思う。」(吉本ばなな『アムリタ (下)』より)

寂しさを自覚した分、これからはもっとしなやかに、自分や他人を受け容れられるようになっていくと思っています。

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