ある日、演劇を観に行きました。ロシアの作家ゴーリキーの『どん底』を原作としたものでした。最後のセリフが印象的でした。ある登場人物が首を吊って、それに対して別の登場人物が「バッカヤロー!」と凄い剣幕で叫んで幕が下りました。自宅までの帰路にて、何度もそのラストシーンを回想しました。もし、あの最後のセリフが死者を憐れむ優しいセリフに取って代わられたら、劇は台無しになっていたかもしれません。
ふと思ったのですが、自殺した人を無条件に憐れむ人々が多すぎる世界では、人生の希望を見失った人にとって「死にさえすればこんな自分でも憐れんでもらえる」という危険な誘惑をもたらしてしまうのではないでしょうか。その人の「魂を悼む」こととその人の自殺という「行為を受け容れる」こととは別だという認識が、自殺者を弔うことの前提だと思います。なぜなら、その行為まで受け容れてしまうと、今後別の人が行う同じ行為もまた肯定される空気を作りがちだろうからです。大げさでしょうか?
『どん底』の内容と、宮本輝の『ドナウの旅人』下巻に記された言葉を重ねつつ、また明日から頑張ろうと思います。
「虚無という劇を演じるための虚無が存在するのと同じく、希望という劇を演じるための、必死の希望もまた、人間はきっと発見出来るに違いない」
0 件のコメント:
コメントを投稿