私はとある信仰をしていますが、他宗である「エホバの証人」の方の訪問をほぼ毎週受け入れていた時期がありました。
自分の信仰を持っている私がなぜ斯様に振る舞うのか疑問に思う方もいるかもしれません。しかし、私から言わせれば、自分が信仰を持っているからこそ、客観的かつ虚心坦懐に他の宗教について学ぶことができるのです。
元400mハードル選手の為末大さんは、自著『走る哲学』でこう述べています。「自分がない人は新しい視点を恐れてむしろ頑固になるか、ただ染まる。寛容は目の前のものを受け入れるのも受け入れないのも自分でコントロールできるという自信からきていて、だから自分を理解している深さと受け止められる幅は関係している」
こと多くの日本人においては、宗教という生きるうえで最も重要な軸が空白となっているので、何かにつけて100%受容するか、100%拒否するという両極端の思考に陥りやすいと考えています。議論の対象となるものについて、何がよくて何がよくないのかを分析して論ずる思考力は、自分の宗教という軸の強固さによってもたらされるのではないでしょうか。
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