今年80歳を迎えた漫画家ちばてつやさんの名作に、『あしたのジョー』があります。私もかつて熱中して読んだものです。ドヤ街に紛れ込んだ青年矢吹丈が、そこで出会った丹下段平のコーチの下、ボクシングで世界を目指す青春スポーツ漫画です。中学1年時、私のクラス担任だった先生もあしたのジョーのファンであり、よくその話題になったことも懐かしい。
特に私が好きなシーンは、東洋タイトルを掛けた一戦です。ジョーが挑んだ東洋チャンピオン金竜飛は、幼少期に朝鮮戦争下で壮絶な半生を送りました。そのときに経験した飢えと渇きに比すれば、ボクサーとしての減量など「ままごと」だと言い捨て、必死に減量しているジョーを「満腹ボクサー」と揶揄します。ジョーは試合前に、この金に対して技術どころか精神面で圧倒的な劣等感を植え付けられてしまい、防戦一方の前半を終えます。
しかし試合後半、彼はかつてのライバルであった力石徹を思い出します。力石は、少年院時代にボクシングで引き分けたジョーに決着をつけるため、無理な減量を自分に課してジョーの階級であるバンタム級まで体重を落とす。それが一因となり、ジョーとの一戦を終えた後彼は命を落とした。それを思い出したジョーは気づいた。金は過酷な環境下で「食えなかった」が、力石は恵まれた環境下にありながら自分の意思で「食わなかった」のだと。ジョーは金に言い放つ。「おまえは自分だけがたいへんな地獄をくぐってきたかのようにタテにとり、しかもそいつを自分の非情な強さとやらのよりどころにしているようでは・・・なあ。はっきり力石におとるぜ!」その力石と男の紋章を掛けて拳を交えた自分が、金に負けては申し訳が立たないと奮い立ち、反転攻勢を開始したジョーはKO勝ちする。
私はこのシーンを通して、人生においてはしばしば、「厳しい環境に抗うよりも、恵まれた環境の中で自ら戦いを起こすことの方が遥かに困難だ」ということを学びました。例は色々ありますが、社会人と学生を比較してみましょう。社会人になると新しい仕事を覚えたり、大人の話についていくために様々勉強する必要に迫られますが、社会人には何かと時間の制約があります。しかし、必要に迫られれば短い時間でも集中して勉強はできます。一方、学生時代は前者に比すれば好きなだけ勉強する時間はありますが、遊びたい欲や周囲の空気に流されてしまいがちです。その中で刻苦勉励しようと思えば、力石のように自らの意思で自らへの戦いを起こさなくてはなりません。大人になってこのシーンを再読して以来、これを肝に銘じています。
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