2019年5月15日水曜日

LAWSと人間の欲望


2019515日付の『公明新聞』4面に、興味深い記事がありました。自律型致死兵器システム(LAWS)を巡る議論に言及した記事です。人工知能を搭載し、標的選択から攻撃まで人間の関与なく全て自動で行うシステムらしいです。実際にはこれはまだ開発されていないですが、現存しない兵器だからこそ具体的で明快な議論をすることが困難であり、8月に行われる特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の政府専門家会合で議論の成果が出せるかが注目されているとのこと。

この記事を目にしたとき、養老孟司さんの『バカの壁』の内容を想起しました。養老さんは、近代の戦争とは武器はできるだけ身体から離していきたいという欲望が暴走した状態だと論じました。つまりは以下の引用の通りです。「戦争というのは、自分は一切、相手が死ぬのを見ないで殺すことができるという方法をどんどん作っていく方向で「進化」している。ミサイルは典型的にそういう兵器です。破壊された状況をわざわざ見にいくミサイルの射手はいないでしょう。自分が押したボタンの結果がどれだけの出来事を引き起こしたかということを見ないで済む。(中略)その結果に直面することを恐れるから、どんどん兵器を間接化する。別の言い方をすれば、身体からどんどん離れていくものにする。武器の進化というのは、その方向に進んでいる。ナイフで殺し合いをしている間は、まさに抑止力が直接、働いていた。」

養老さんの指摘が正しければ、私たちは自分の行為によって相手が傷つくのを見たくないという欲望を本源的に有していることになります。もしそうであれば、LAWSはその欲望を最大限に現した兵器と言えます。最大限と言っても、人間の欲望は(生理的な欲求は除いて)終わりのないものですから、LAWSが完成・普及すれば今度はLAWSの開発すらAIに行わせるという方向に進化してしまうのでしょうか。こう考えると、今の段階でしっかりとした歯止めを設けることの重要さは明白ですね。

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