2019年5月9日木曜日

自分らしさの檻


明日510日はMr.Children1stミニアルバムを出し、メジャーデビューを果たした日です。ミスチルの楽曲の中でも、青春時代に何度もリピートした思いで深い曲はずばり、「名もなき詩」。

「あるがままの心で生きられぬ弱さを/誰かのせいにして過ごしてる/知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で/もがいてるなら/僕だってそうなんだ」。この感覚を言語化できるセンスは羨ましい限りです。

この歌詞に関連した話ですが、私たちは「ありのままでいいよ」という励ましを耳にすることがよくあります。何となく、間違いのない言葉に思えますが、安易な使い過ぎには疑問を感じます。

人は「ありのまま」に忠実過ぎると、結局は新しい規範で自分を拘束することになってしまいます。つまり、「○○であるべき」という状態から脱出するために「ありのまま」を意識するけど、その状態を真面目に保とうとし過ぎるあまり、「ありのままであるべき」という新たな「べきの檻」に自分を閉じ込めてしまうということです。

ありのままというのは、意識的に「なろう」とするものというより、気づいたら「なっている」ものなんだろうなと思います。「ありのままでいいよ」と言う或いは言われるとき、この点を留意しておきたいと常々考えてます。

私は、「ありのままでいいよ」という言葉やそれを言う人を批難する訳ではありません。ただ、この言葉は「何となく間違いのない」「何となく正しい」ものに聞こえるだけに、言われた側がこれに違和感を持つと「何となく私の方が間違っている」という自己否定をもたらすことがあります。万が一、言った側は自己肯定を促すために言ったにもかかわらず、言われた側は自己否定に陥ってしまうことがあったら、大変悲しいこと。

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